先月12日に発行された『国宝シリーズ』第3集は東京国立博物館創立150年記念を兼ねた切手でしたが、同館では現在、設立150周年を記念した特別展『国宝 東京国立博物館のすべて』を開催しており、参観してまいりました。
東京国立博物館は上野恩賜公園にあります。当日は朝からひんやりとした空気の中を修学旅行生と思しき団体や黄色くなったイチョウを横目で見ながら博物館に向かいました。
写真撮影は不可能なので(一部例外あり)写真はありませんが、昔の200円、210円普通切手の『埴輪 挂甲武人』の実物を見られたのはなかなか感激でした。その他、過去の国宝シリーズ切手にもあったなあと思うものがいくつかあり、非常に興味深い観覧となりました。1,000年以上前に作られたものが平気で置いてあるので(もちろん触れませんが)ついつい錯覚してしまいますが、しかしそんな昔のものが目の前にあるのは奇跡としか言いようがないのです。
中には興福寺(奈良県)建立に伴う地鎮のために鎮壇具として埋葬されていた和同開珎も展示してありました。これは日本初の流通貨幣とされていますが、そこで頭をよぎったのが切手のことでした。
切手は基本的に紙なので保存が大変な代物です。しかも世界初の切手でさえ発行からまだ180年程度しか経過しておらず、果たして1,000年も保存できるのか誰にもわかりません(ちなみに先ほどの和同開珎は約1,300年前)。未使用の場合、裏のりの存在が数百年後の切手に与える影響も気になります。切手の状態を末永く保持する視点のみから考えた場合、誰が保管するのが最良なのでしょう? これは議論のあるところだと思います。
私個人としては、いずれは個人での保管は手に負えなくなってくるのではないかと思っています。現状は著名な切手コレクションがオーナーの死後に博物館行きになることは嫌われますが(残された収集家にしてみれば、自分が手に入れる機会が失われるので)、そのうち切手の保存を考えれば博物館行きになったほうがいいという価値観に転じる日が来るかもしれません。もちろん博物館に預ければ安心というわけではなく、例えば今回の特別展では関東大震災で破損し修復されたモノが展示されています。もっとも、基本的に一点モノの国宝と、多く作られている切手とでは価値観がまた違ってきます。そもそも切手は1,000年先も、末永く保持すべきものと認識される存在であり続けられるのでしょうか。それは現代を生きる我々郵趣家の責任でもありましょう。
そんなことも思いつつ、最後にキヤノンによる『見返り美人』の高精度複製品(本物は11月中旬まで展示)を見たからか、購買店では図版とともにこんなトートバッグを買ってしまいました。今後、切手イベントなどに持っていこうかと思います。現地では『国宝シリーズ』第3集の切手シートも販売されていましたが、既に持ってますし、さすがに買いませんでした。