上海郵政博物館の展示コーナーはいよいよここから近代郵便の時代に突入します。
具体的にはどの時代なのか? 説明文を読む限りは1840年のアヘン戦争以降を指しているようです。中華人民共和国の建国は約100年後の1949年であったわけですが、この期間、中国の郵便制度は郵便局、私設郵政、外国政府が設置した郵便局(客郵局)、税関郵便局(海関郵政)、大清郵政、中華郵政と乱立し、時には重複することさえありました。しかし西洋からの侵略の結果、全く新しい通信手段としての近代郵便サービスが徐々に導入されていき、その後の中華人民共和国における郵便サービス発展の基礎が作られていったとしています。
もちろん中国にとって侵略は屈辱の歴史ではあるわけですが、郵便の発展に貢献した外国人については取り上げています。さすがに存在を無視するわけにはいきません。
これは清朝末期に洋関総税務司を務めたイギリス人のロバート・ハート(Robert Hart)です。ハートは中国の税関(海関)をほぼ半世紀にわたって管理し、税関による郵政(海関郵政)や大清郵政の設立過程で重要な役割を果たしました。ちなみに、この肖像画を描いたのは上海郵便局員の華正です。以降、ここからしばらくハート関連の展示物が続きます。
ハートは1878年、大清帝国で対外通商などを担う北洋通商大臣だった李鴻章の許可を得て上海、北京、天津、煙台、牛荘を含む5つの税関で郵便サービスを試験的に行うこととなり、担当者にドイツ人のグスタフ・デットリング(Gustav Detring)を任命しました。この年、中国初の切手である大龍切手が上海の中国税関登録局で印刷されました。
これはかつて上海にあった、海関郵政の郵便局の模型。縮尺は70分の1。
ハートによる文書などがいくつか展示されています。
1863年6月、上海の江蘇路に上海市議会による地方郵便局が設立され、1897年11月1日に上海にある大清郵政の郵便局に引き継がれました。1876年に公文書などを送付するための中国初の機関である文報局が上海に設置されましたが、中華民国の初期に廃止されました。上海の華陽郵便局は黄浦江税関郵便局の民間代理機関として設立され、1882年10月31日に閉鎖されました。
そして、いよいよ大清郵政が1898年に設立されることになります。以下、次号。