南北朝鮮に分かれた親子の物語

先週末、北朝鮮の切手を整理していたらこんな小型シートを見つけました。なんのことはない鳥類の切手なのですが、傍らに『農林省 JAPAN C 7655』という書かれているプレートが描かれているのですね。一体これは何だ? スコットカタログにはそこまで細かい情報は載っていないので、名前らしきものを手がかりに調べてみたわけです。そこには南北朝鮮で生き別れになった親子の物語が隠されていました。

小型シート余白に描かれているのは大韓帝国時代の1888年に生まれた鳥類学者、元洪九(ウォン・ホング、원홍구)。朝鮮半島で鳥類の研究で名を馳せた方なのですが、1945年の日本敗戦に伴う混乱で、元洪九は38度線より北側に、三男の元炳旿(ウォン・ピョンオ、원병오)は南側へと生き別れてしまいます。以来、この二人は会うどころか連絡すら取れない状況となってしまいました。韓国で成長した元炳旿は父親と同じく鳥類学者となるのですが、北朝鮮にいる元洪九は知る由もありません。

元炳旿は1960年に東京で開催された国際鳥類保護会議のため来日し、山階鳥類研究所からくだんのプレート(金属足環)をもらいます。これを鳥の脚にくくりつけて標識として使い、研究に使うわけですね。元炳旿は韓国に戻ってシベリアムクドリの脚にこれをくくりつけ放しました。結局、このシベリアムクドリは北朝鮮に渡り、そこで拾われるわけですが、日本にいないはずのシベリアムクドリに日本の農水省の金属足環が付けられていたことを不思議がった北朝鮮の研究団体は日本の山階鳥類研究所に手紙を出し、どこでこの鳥を放したか問い合わせます。そこで山階鳥類研究所はこの金属足環を渡した相手は韓国の元炳旿であると返答しました。

その返事を受け取った北朝鮮の元洪九は、元炳旿という名前を見て、これは自分の息子ではないかと思い始めます。これをきっかけに二人の親子はお互いが生存しており、しかも両者とも鳥類学者であることを知るわけです。ところが当時は冷戦真っ只中なので生き別れの親子は対面を果たせない。元炳旿は社会主義陣営の国の学者らに手紙を託してなんとか自身の写真などは送れたようですが、1970年に元洪九は北朝鮮で死去し、そのことを元炳旿が知ったのは1978年になってからという有様でした。

この物語は1984年に書籍化され、1992年には映画化もされました。この切手は、映画化を記念する意味合いも込めた切手だったのですね。元炳旿が北朝鮮を訪れる許可を得たのは2002年になってからでした。今年2020年4月9日、元炳旿は90歳でこの世を去りました。