1971年12月2日にアラブ首長国連邦が建国を果たしてきょう2日で50年。こんにち、UAEの略称でも知られているこの国の前身は休戦オマーンと呼ばれるイギリスの保護領で、1971年の時点でアブダビ、ドバイ、アジュマーン、フジャイラ、ラアス・アル=ハイマ、シャールジャ、ウンム・アル=カイワインの7首長国で構成されていました。外国切手収集家にとっては、最後の5首長国はいわゆるアラブ土侯国切手を発行していた国としても有名だと思います。なおラアス・アル=ハイマがUAEに合流したのは一足遅れた1972年2月10日のことでした。
そんな休戦オマーンもこの日をもって消滅し、アラブ土侯国切手もその役割を終えた…わけではありませんでした。ここが面白いところです。
そもそも休戦オマーン7首長国の切手発行が終わったのは1972年7月31日です。スコットやミッヘルといった切手カタログを見ると、アブダビはこの日より前、ドバイはこの日にファイナルイシューを発行したことがわかります。残る5首長国についてはミッヘルを見てもファイナルイシューの発行日は明確に書いてありませんが、注意書きでそれらしきことが書いてあるので、まあ7月31日をもって終わったんでしょう。とにかく1971年12月2日のUAE独立をもってしても各首長国は未だ独自に切手を発行し続けていたのです。UAE独自の切手が発行されたのは1973年1月1日、独立から1年以上後のことです(アブダビが1972年8月に自国切手にUAEと加刷した切手を出してはいる)。
このとき、万国郵便連合(UPU)への加盟状況はどうだったかというと、アジュマーンとラアス・アル=ハイマは加盟していなかったようなのですが、残りの5首長国は1973年3月30日まで個別にUPUに加盟しており、同日をもってUAEがそれらに代わって加盟しました。つまりこの日まではアラブ土侯国切手を使った国際郵便が(UPUのルールとしては)送れたということになります。これはそんな例の一つで、ウンム・アル=カイワインから西ドイツ宛に差し出されたカバーですが、1973年1月9日の消印が押されているのがわかります。裏面には、中継地であるドバイにて1973年1月18日の押印があります。
なので本日12月2日はUAE建国50年のお祝いの日ではあるのですが、アラブ土侯国切手のお役御免からはまだ50年経っていないのです。しかし、それでもほぼ半世紀。当初は自国に関係のない題材の切手を、必要以上に大量に製造しているとして切手収集家からは忌み嫌われていたようですが、しかし今から見てみれば様々な先駆けだったという評価もできるかと思います。