早稲田大学元総長の奥島孝康氏が1日に85歳で亡くなられました。世間的には日本高等学校野球連盟(高野連)会長のイメージが強いかもしれませんが、個人的には自分が附属の高等学院に入学した年に大学の総長になられた方なので早大元総長というイメージが強いです。何しろ総長選挙は怪文書が飛び交うなど荒れに荒れ、よくわからない団体が上石神井にある高等学院にまで来て奥島候補を批判するビラを配ったりと大騒ぎでしたから。
そして私が大学に進学したときには早稲田祭と呼ばれる大学祭が学外の左翼系団体に乗っ取られているということで奥島総長が強権を発動、結局私の学部・修士課程の合計6年間のうち最初の5年間は大学祭が行われないという事態になりました(最後の2年は新たに立ち上がった実行委員会がお試しで大学祭のようなものを開催してはいましたが)。結局、奥島総長は早稲田大学から左翼団体を叩き出すことに成功したわけですが、産経新聞によく登場したような印象があるのはこういう経緯があったからかもしれません。
そんな奥島元総長ですが、以前にもこのウェブログでご紹介した、早稲田大学切手研究会の発足50年を記念して作られた『早大切手研50年』にも現職の大学総長として寄稿しています。なかなか興味深いのが奥島氏も郵趣に関係する趣味をお持ちで、愛媛県立宇和島東高等学校時代に文通クラブ『郵便友の会』に所属しており、会長時代には顧問の先生の提案で集まった外国切手(同校では国内文通は一切なかったとのこと)を文化祭で展示するというイベントまで行っています。
大学教授時代には、交換研究員としてフランスのパリ大学に赴任した際に家族でパリの切手市場を訪れ、そこで切手を買うようになったとも書いています。元来、外国出張の際にはその都市や土地のマークの入ったスプーンを買うのが趣味でしたが、やがて切手もそこに加わり、その国の安い値段の切手を買い求めるようになりました。中国の三国志の切手コレクションは宝物の一つであるとまで書いています。この切手についてはこれ以上の情報がなく、詳細はわかりませんが、中華人民共和国の発行であれば、1988年から1998年にかけて5回に分けて発行された三国志演義の切手でしょうか。
縁とは不思議なもので、私の今の勤務先にも大いに関係のある方だったため、昨年頃から体調を崩されているという話は聞き及んでいました。直接お会いする機会はありませんでしたが、学部生時代に奥島先生の授業を受ける機会があったので受講したことがあるのですが、マイクなどなくても広い教室の最後列にも余裕で届くような大きな声で講義されていたのが印象に残っています。阪神大震災のときにはボランティア活動のため学生を連れて現地入りしたりと、とにかくバイタリティー溢れる方でした。ここに心からのお悔やみを申し上げます。