上海郵政博物館の展示コーナー紹介はいよいよ20世紀に突入します。
1896年、当時の大清帝国政府は国営郵政の設立を承認しました。これは中国における初の近代郵便局となります。翌年の1897年には上海の黄浦江税関局が大清帝国の上海税関局に改められ、初めて支局が設置されました。当初の税関郵便局における郵便サービスに加えて、書籍や商品サンプル、はがきなどの他の業務も引き続き取り扱いました。1911年5月には逓信省が全国的な郵便業務の掌握を開始しました。
これは1896年3月20日、当時の皇帝である光緒帝が大清郵政の設立を承認した文書です。
当時の郵便局の外観模型や、その内部の写真、それに当時の郵便ポストも展示されています。I.P.Oというのは、”Imperial Post Office”(帝国郵政)の略称でしょう。そういえば台北の郵政博物館でも大清帝国のポストが展示されていましたが、また違う形でした。ポストの後ろには光緒30年(1904年)に作られた『大清郵政章程』が展示されています。
アメリカ人のE.ギルクリスト(中国名:克立基)は、1907年12月6日から1908年12月23日にかけて上海総合郵便局を監督した人物です。
清朝末期の官僚、起業家であった盛宣怀(1844-1916)は、1910年に郵政大臣に任命されました。1911年に郵便通信局が国の郵便事業を引き継いで総合郵便局を設立。晩年に上海で住んでいた邸宅の写真も掲げられています。…と、ここまでは書いてあるのですが、1911年10月に辛亥革命の幕開けとなった武昌起義(武昌蜂起とも)が勃発した際に盛宣怀が失脚させられていた袁世凱を支持したことで光緒帝(1908年崩御)の皇后であった孝定景皇后より更迭されて日本に一時亡命し、中華民国が成立した1912年に上海に戻ってきたということは、郵政の歩みとは関係ないためか、ここには書かれていません。
1908年における江蘇省の郵便地図。
大清郵政で使われていた郵政地図。郵便業務やサービスを円滑に進めるため、行政区域と郵便輸送網を組み合わせて作成された地図です。中国は広いのでそれなりに大きなものになるのでしょうか。
1912年に大清帝国の最後の皇帝、愛新覚羅溥儀が退位し、中華民国が建国されたことで大清郵政は16年の歴史に幕を閉じました。ここからは中華郵政の展示となりますが、ここ上海郵政博物館では『民国時代の上海郵政』という表現を行っています。