1912年の辛亥革命によって大清帝国は滅亡して中華民国が建国され、大清郵政も中華郵政と名を改めました。この中華郵政は今日も台湾における郵政事業体としてその名をとどめています。
1914年に中華民国は万国郵便連合(UPU)に加盟し、上海郵便局は国際郵便の交換局の一つに指定され、国際郵便のメイン窓口となりました。上海郵便は先進的な輸送機器を多用し、移動郵便局を導入するなどサービス向上に努め、中国国内トップクラスの事業展開を行っていきました。そして外国による『客郵』、民間による『民信』など乱立していた郵便制度は次々に廃止され、国営の郵便局に一本化されていきました。後期には郵便の発展が妨げられ窮地に陥ることになります…とだけここには書かれていますが、これは日中戦争や内戦の激化が原因です。
それぞれの時代の郵政法規が並べられていました。
逓信省総局が1942年(民国31年)3月31日付で発行した、第一種郵便職員の任命証書、郵便局員の保証書や、上海郵政局に入職するときに従業員が書いた誓約書、当時の中華郵政が実施した社員採用のための選考試験の書類などが展示されています。
左より上海郵政局が定めた苦力(クーリー)採用条件(1925年)、入職通知(1923年)、1920年発行の『郵便概要』第1巻。苦力とは低賃金労働者などという意味で使われる言葉で、この採用条件には身長に対する標準体重が書かれていますが、荷物の持ち運びなど重労働に携わることを見越して、ある程度の体格を要求していたということなのでしょうか。
当時使われていた郵便ポストなど。
郵便事業をなんとか国営に一本化しようと悪戦苦闘している時代でしたが、対外戦争の激化などもあり政府の思惑通りにはいかなかったようです。