上海市の郵政博物館訪問(その12-上海郵便局竣工、第二次世界大戦)

中華民国時代の1924年、ここ上海の郵政博物館が入る上海邮政总局(上海郵便局)のビルが竣工しました。建物の名前は上海郵政大楼です。

上海郵政大楼は中国における最も初期かつ最大の郵便のランドマークの一つであり、呉淞江に隣接し、鉄骨とセメントで造られた4階建てのビルディングです。屋根は平ら、建物の形はU字型で、面積は9亩=6,000㎡です。新しい素材を使用したため建設費用には合計320万銀元を要したと書かれていますが、例によって現在でのレートはよくわかりません。80年の使用を経て、郵便局の建物に新たな命と活力が吹き込まれたとも書かれていますが、これは2005年に上海郵政博物館を併設したことを指すものと思われます。

上海郵政大楼のジオラマ。上から俯瞰すると、建物が確かにU字型であることがわかります。

ビルの建設に先立ち、中華郵政は設計案を募集する限定競争入札を実施しました。スチュワードソン&スペンス社、ダウダル&リード社、アトキンソン&ダラス社など多くの企業が入札に参加し、その結果、ここに展示されている2つの設計図のうち、上に展示されているスチュワードソン氏によるデザインが採用されました。中国とヨーロッパの折衷的なデザインとされています。下の展示物は採用されなかった設計草案で、今となっては設計会社も不明だそうです。

郵政博物館では当時の郵便局長室も再現されており、家具は民国時代初期に作られたものだそうです。傍らに立つ人物が中国人ではなく欧米人であることに気がついた方は鋭い。この時代の中華郵政は事実上フランスの管理下にあり、トップもフランス人でした。当時、郵便局長は望遠鏡を使って郵便船が来るのを待っていたそうで、1920年代に使用されていた望遠鏡が展示されています。

1931年から上海郵政局の長官を務めていたフランス人のA・M・シャプラン。左側は肖像、右側の写真では郵便局員に対する視察を行っています。しかし1943年に日本軍によって追放されることになります。

外国勢力による郵政『客郵』の設立に始まり、ここまでで中国における近代郵便制度が列強諸国による強い影響を受けていることは、極端な話、書いてある説明文が十分に読めなくても展示を見ていればわかるのですが、しかし上海の郵政博物館ではそういった事実を淡々と説明しているような印象を受けました(あまり詳しい説明もしない)。これは個人的には意外だったのですが、しかし中国共産党からしてみれば民国時代の列強による侵略をことさら強調するよりここから先、中華人民共和国時代における業績を強調することに力を入れたいのかもしれません。