1949年5月、中国共産党の人民解放軍による上海の奪取(共産党から見れば解放)を前に、上海郵便局の共産党組織は解放に向けて郵便局の統制を引き継ぎ、接収する準備を開始します。郵便局や通信を確保する活動を行い、解放を迎えました。
ここでは当時の戦闘の様子が映像で流れていますが、音までは流れていません(ものすごく小さい音量だったのかもしれませんが)。しかしこの白黒映像、実際のものなのか、あるいは映画などで再現したワンシーンなのか、それはよくわかりません。郵政博物館とは一体…
(中央展示枠の一番左)中国共産党上海郵便局支局が発行していた地下新聞にて、局員に対し、郵便局を守る闘争を開始するよう呼びかけられました。(その右)上海郵政労働組合連合会の傘下組織である郵便警備委員会の公式印章。(その右)また人民解放軍の案内役を果たした上海市内にある思南路郵便局と、郵便通信連合のピケ隊の共産党員が着用した腕章…の写真。実物はないのでしょうか。(中央展示枠の一番右)四川路橋の戦いのあと、上海郵便局332号室の窓に残された弾丸の穴。一応は郵便縛りの写真ではありますが…。
上海解放に向けて、郵便局の多くの職員が郵便局を守る闘争に参加し、郵便局の建物に駐留する国民党軍に対して降伏するよう説得する人民解放軍の戦いに参加しました。その結果、郵便局の建物は無傷で人々の手に渡りました。これは上海郵便局員の詹敏が描いた絵で、解放に向けて郵便局を守るために郵便職員が団結し恐るべき部隊を形成している様子が描かれています。
(左)四川路橋のたもとで押収された戦車を見つめる市民たち。(右)上海解放前夜、郵便局ビルに残っている敵に対する攻撃を開始する人民解放軍。いずれも1949年5月。…いや左の写真はもはや郵便と何も関係がないのではと思ったのですが、ひょっとして写真の左側に上海郵便局が写っているのでこの写真を展示したのでしょうか。
そして1949年5月27日、中国共産党の人民解放軍はついに上海を解放しました。上海郵政局は官僚資本から人民自身の企業へと変貌し、これは上海郵便の発展における重要な転換点となりました。そして上海郵便は、輝かしい道を歩き始めました、と書かれています。右の人物は解放後に上海郵便局の局長に就任し、1951年には郵政総局の副局長を務めました。
人民解放軍が上海を占領した翌日の5月28日に上海市軍事管理委員会が命令書を発行しました。国民党から共産党に実権が移るのに伴い、郵政当局の持つ財産リストを正確に作成して管理し、共産党への移行作業に功績のある者には褒美を与えるが、妨害したり問題を起こす輩に対しては法に基づいて厳罰を与えるという、まさに戦争に負けるとはこういうことだなと申しましょうか。命令は下すだけでなく、それに逆らわずに従うことが大切とまで書かれているようです。
(左)上海郵便局の第一期課長級幹部に渡された任命書はまだしも、(右)上海市軍事管理委員会の職員がつけていた紋章は郵便と何の関連があるのかは不明です。
(左)解放初期に上海市軍事管理委員会の職員が着用していたバッジ。郵便と何の関連が…(中央)上海市軍事管理委員会が上海郵政局に駐在する軍事代表者の任命した書類。軍事代表者とは?要するに郵政局は軍事管理委員会の傘下にあるということね。(右)上海郵便局が接収された当時、職員の思想を分析した記録の書類。いやこんなヤバいの博物館に展示する? 確かに中国という国がよくわかる資料ではありますが…。
こうして上海は中国共産党の手に…もとい、中国共産党によって解放され、いよいよ10月1日には中華人民共和国の建国が宣言され、郵政当局は中国人民郵政となったのでした。
実は中国共産党が見せたいのはむしろここからなのです。共産党が郵政事業に対する貢献をアピールできるのはやはり中華人民共和国を建国して実権を握ってからの出来事なので。というわけで、ここまでで既に14回にわたって上海郵政博物館を紹介してきましたが、私の感覚ではここは展示コーナーの中間地点ではなく、むしろまだ半分以上も残っています。正直な話、展示内容を紹介する記事をここまで細かく書くことはなかったなと今さらながらに思っていますが、まあせっかく上海の郵政博物館に行ったので、書けるだけ書いていこうかと思いますが、あまりに一回の記事を書くのに時間がかかりすぎるので、しばらく間を開けようかと思います。