先日、とある郵便局より郵頼していた風景印が返ってきました。
その中には押印済みの台紙とともに、こんな紙が入っていました(郵便局を特定できないよう、画像の一部を加工しています)。
これねえ。たまにこういう紙を入れてくる郵便局があるんですよね。そのことを糾弾したいわけではありません。なぜこのような紙をわざわざ入れなければならないのかと思うのです。紙ならまだいいのですが、下手するとわざわざ電話してきてまで押印がうまくいかなかったことを詫びてきたりするんですよね。私自身はもう多少の汚れやカスレは気にしないので正直いちいち電話されて来られても、仕事中だと気づきにくいですしいちいち折り返し電話をするのも面倒くさいので、最近では押印指示書に気にしない旨を書いています。その結果、電話してくる機会は激減しましたが、それでもこういう手紙はたまにあります。
そもそも押印とは難しいもので、しかも人間がやる作業ですから失敗があるのは当たり前で、それもまた味だなと思っているのですが、こういう手紙をわざわざ印字して用意しているということは、いかに押印に文句をつける人が多かったかを物語っているようです。少しでもカスれたらこの手紙を入れてるんでしょう。しかし、そもそも押印作業にそこまでのクオリティを求めること可能なのでしょうか?
押印に対して完璧を求めているのが間違っているとまでは言いませんが、しかし私には押印する郵便局側が必要以上に押印希望者に対して恐縮しているというか、萎縮しているようにしか見えません。正直そんなに儲かる作業でもない押印作業にそこまでする必要があるのでしょうか。昔のようなカスタマーハラスメントが通用する時代でもありませんし、外国のように出来合いの押印済みカバーを郵政から購入できるようにすることを検討してもいいのではないでしょうか。