上海市の郵政博物館訪問(その16-初代郵政大臣・朱学范)

1949年10月19日、中央人民政府委員会の第3回会議にて、郵電部長(郵政大臣)に朱学范が任命されます。そして10年近く同職を務めた後、すぐに郵政電気通信部大臣に再び就任し、20年以上もその職につくことになります。合計で約30年、まさに建国以来中国の郵政を引っ張ってきた人物です。

そんな重要人物が郵電部の初回会議で発言した内容が紹介されています。曰く、人民郵政の通信産業は輝かしい歴史と偉大な成果を誇り、今日の偉大な建設によって、偉大な未来をも期待できる。私たちはどのように未来を創造するのか? 毛沢東主席の教えに従い、人民に奉仕し、良い仕事をしなければならない。

この時点で中国人民郵政の発展はすなわち毛沢東の手柄、ということになったのです。もっとも、こういうことが当時のいろいろな場所で行われていたのでしょう。それはさておき、しかし朱学范が中国人民郵政の発展に貢献したことは間違いがありません。ここでは、朱学范という人物が詳しく紹介されています。説明文の下には胸像も飾られています。

1919年に国際労働機関(ILO)が設立され、中国(当時は中華民国)は創設メンバーとして当初から加盟しており、朱学范は中国代表となりました。そこでは開催される国際会議の場を利用し、第一次世界大戦にて日本軍が中国大陸において犯した残虐行為を告発したと書かれています。

1932年の第一次上海事変後は上海郵政偵察隊を組織し前線へと赴かせ、郵政偵察隊は十九路軍(事変で名を上げた陸軍部隊)総司令部の偵察通信隊に改編され、命をかけて軍用郵便物を配達しました。

説明文の下、一番左にある写真は1924年に上海郵局に入職した頃の朱学范。右にはILOの会議に出席している際の写真などが展示されています。

先述したように朱学范は1949年に初代郵政大臣に就任し、全国の郵電労働者を率いて様々な困難を乗り越え、郵電事業の発展に貢献したと称えられています。その下には1990年に朱学范が上海郵局を訪問した際の写真が飾られています。

1987年には中国国民党革命委員会の主席となります。これは中国における野党で、中国共産党の事実上の衛星政党です。その下にある写真は、全国人民代表大会(全人代)などでの朱学范の写真が掲げられています。朱学范は1996年1月7日に北京にて90歳で逝去されました。