切手収集の新しい教科書を作る方法

皆様、さすが雑誌『郵趣』の巻頭言『クローズアップ』を読まれてるんですね。どうせネガティブなことしか書いてないに決まってるんだから、読んだところで疲れるだけだと思うのですが。まあ体に悪い物もたまには食べたくなるものですが、それは美味しいことが前提です。

それで、吉田敬さんのブログポスト『厳しくない現実』を拝読したのですが、雑誌名や氏名など具体的な固有名詞が書かれていないにもかかわらず、これがもう明らかに郵趣7月号の巻頭言に対する文章なのですよ。何しろこのタイトル自体が巻頭言のタイトル『厳しい現実』を踏まえたものですし、巻頭言をあらかじめ読んでいることが大前提の文章になっているので、何も知らずに読んだ方は戸惑われるかもしれません。

巻頭言の感想を複数人分拝読して、まあ皆様、これまでの日本郵趣協会の体制には正直ウンザリといった論調の感想ばかりでしたが、実は私が一番反応したのは吉田さんのブログポスト中、郵趣参考書の部分だったのです。魚木五夫先生といえば郵趣界では言わずとしれたレジェンドな方ですが、魚木先生の著された『正しい切手の集め方』を現代に合うように変えたいというようなことが書かれていて、思わず反応してしまったのです。なぜなら、実はここ最近、魚木先生が著された別の本『外国切手の集め方』を読んでいて、「これを現状に合わせるとしたらどうすりゃいいんだろ?」と考えていたからです。具体的には、切手の入手方法についての改訂はどうなるかな、などと考えていました。

今から約40年前、1978年の暮れに刊行された『外国切手の集め方』では、切手の入手方法にまるまる1章、扉ページも含めて26ページを割いています。しかしこの中にはインターネットを介した入手方法というのは一切書かれていません。それは当たり前の話で、インターネットが営利目的に制限なく開放される17年も前に書かれた本だからです。しかし21世紀も20年が経過しようとしている今、インターネットを介した入手方法が全く書かれていないというのは現状に明らかに即したものではありません。これは郵趣関係の懇親会などで同様の意見を耳にするところです。

しかしこの40年間で起きた最も大きな変化は、収集家が外国の郵政当局、切手商、オークションハウスと直接取り引きする技術的、心理的ハードルが大幅に下がったということでしょう。インターネットを介することで海外のウェブサイトを自宅にいながら閲覧することが可能となり、そこで直接買うことができなくても、担当者にコンタクトをとることは可能となりました。また個人輸入が増えているこのご時世、もはや日本語以外の言語で取引することは珍しいことではありません。何より今はGoogle翻訳などを使うことで、お決まりのフレーズを難なく理解できるようになりました。

先日のブログ記事『世界中の郵政当局とお近づきになろう』は新切手限定の話になりますが、例えばこうした経験も新たな郵趣参考書に反映できるかもしれません。もちろん元来の目的は私自身が新切手をより安く入手する方法の開拓なのですが、しかし脳裏には、ここで得られた知識を特に新しく郵趣の世界に入ってこられた方々に還元していかないと、既存の切手商に(言葉は悪いですが)搾取される一方で、すぐお金が続かなくなって去ってしまう、という危機感があります。

とまあ、切手の入手方法についてだけに限定しても追加するべきものは多いのです。分量が増えることで気軽さを奪ってしまいかねないという危惧もあるのですが、個人的には中途半端なものなら出さないほうがマシという考えです。とはいえ多少の妥協は必要ですけどね。

個人的には、もはや40年前のように一人で参考書を執筆できる時代ではなく、作るのであれば複数人による執筆体制を組むべきであろうという考えに至っています。まさに教科書です。こうしないと、とても今の時代にあった郵趣の参考書といいますか、教科書にはならないんじゃないかなと思っています。それは、価値観の多様性が叫ばれ、郵趣においても画一的な手法を採用するような時代ではなくなった今、複数人が参加しなければそうした多様性を反映するのは難しいだろうなと考えるからです。

そして、この新しい郵趣参考書は、郵趣サービス社では取り扱ってもらえないかもしれません。外国新切手の入手方法の節には、郵趣サービス社や、そのネット部門のスタマガネットで購入するよりも、外国郵政と直接取り引きしたほうがお安いですよという記述が入るでしょうし(もちろんリスクの記述も必要)、そういった点をごまかすようでは、郵趣参考書として失格だと思うからです。

現状で存在しないものは、作らなければ、いつまでも存在しません。冒頭の巻頭言に話を戻せば、こうした21世紀の郵趣参考書を作ることで、福井理事長の言う「新たな潮流に乗る」ための最低限の準備ができることでしょう。こうした状況が放置されてきた原因は明らかに、現状は未来永劫変わらないと信じ続け、時代の流れを読むことができず、新たなチャレンジの必要を認識してこなかった、従来の郵趣界の怠慢です。